「最後の線を越えて」

わたしが

言葉を書くタイミング

頭の中に

言葉が

文字として

見え始めたとき

「今日はこれを書こう」

こういうことは

まったく考えていない

いつも通り

日常を過ごしている中

ふと

自分の中に

問いが生まれる

その問いについて

考えを巡らせる

すると

「あ、これかな」

という瞬間がある

そのあとは

言葉が

流れ始める

そして

言葉が

作品になる

タイミング

それも

自然な成り行きに

任せている

期限は

決めていない

ふとした時に

ペンを走らせ

仕上がる

大体は

そのまま

世界に置くことが多いけれど

まれに

一旦

保留にするものもある

自分の手が

動かない時は

無理に考えず

それに従う

でも

それが外側の現実と

重なることが多い

「この時を待っていたんだな」と

そう思えるくらいに

きっと

いま

相手は動いている

一番

苦しい時間に

いるのかもしれない

現実を動かしている

その瞬間だから

反対に

わたしの心は

とても穏やか

高揚も

焦りもない

最後の薄い一枚だけ

まだ残っていた

ほんのわずかな

引っかかり

でも

相手が動くと

わたしの

その膜も

薄くなっていく

相手は

自分の課題と

向き合っている

だから

わたしにできることは

相手を信じることだけ

そう考えた時

また

違和感が出てきた

なぜ

相手だけなのか

わたしたちには

時差はないはず

それなら

等しくわたしにも

「何か」

あるはずじゃないのか

そう問いかけると

後ろめたさはない

けれど

ほんの少し

気がかりがあった

わたしは

自分の感覚に従って

言葉を書いてきた

言葉が出てきたタイミングが

そのまま

世界に置くタイミング

これが

わたしの

基準になっている

だから

相手とのことも

これまでのように

置いてきた

当初は

相談してからに

しようと思っていた

許可をもらうこと

それが順序だと

思っていたから

でも

わたしたちは

言葉を交わせなかった

そんな状況とは関係なく

わたしの言葉は

流れ始めた

だからその時は

「自分の意思」で

決めなさいと

突きつけられた気がした

相手のことを

書いたわけじゃない

すべて

わたしが

自分を取り戻すために

書いてきた

書くことで

自己を一致させてきた

自分の尊厳を

回収するために

でも

相手の考えが

分からないまま

独断で

決めてしまったことに

少し倫理の引っかかりが

残った

わたしのせいで

相手を

不利にしているのではないか

でも

わたしの中に

後悔も

不安も

怖さも

全くない

だから

気づいた

これが

わたしの課題だった

相手がどう思うか

周囲の目

やりすぎていないか

他者視線への

最終確認

同時に

これは

自己信頼の

最終確認だ

何を

どう書くのかを

外側の反応ではなく

自分の内側で

決められるかどうか

相手が

課題に向き合っているのを

見ているようで

わたしは

自分が揺れていないかを

見ていた

結果

揺れていなかった

自分の判断を

信頼している

そして

自分を信じられるから

相手のことも

信じられる

課題を乗り越える人だと

わたしは知っている

それは自分の

「見られ方」ではなく

「立ち方」を選んだ結果でもある

ここがすべて

つながっている

だから

信じられる

それに

わたしが

自分の世界を渡した人たちのことも

心から信頼している

だからやっぱり

何も

心配する必要はなかった

「信じること」は

力を込めて

願うことじゃない

脱力していて

でも

芯はある

そんな状態

少しだけ

芯の部分が

締まっている

それが

わたしの立ち方

相手に向かって

力を出すことじゃなくて

自分の中心が

整っているから

相手に

力を向ける

必要がない

だから

芯はあるけど

ゆるんでる

相手は

外側の構造を整理する中

わたしは

内側の自己信頼の

最終確認をしていた

相手が外で線を引くなら

わたしも内で線を引いた

相手が尊厳を守るなら

わたしも尊厳を守った

相手を信じるかどうかじゃなく

自分をどこまで

信じ切れるか

もう

わたしたちに

上下も

時差もなくなった

向き合う場所が

違っただけで

どちらも

もう

越えていた

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