存在価値とは
存在価値とは
何かを成し遂げることで
得られるものではない
何かを証明するために
必要なものでもない
それは
すでに
そこにあるもの
わたしたちはいつの間にか
「何かに向かっている自分」こそが
価値だと信じるようになる
成長している自分
努力している自分
役割を果たしている自分
けれど
それらはすべて
存在価値を
証明するものではなく
ただの「表現」にすぎない
本来の価値は
その前にある
何もしていなくても
何も持っていなくても
そこにあるもの
たとえば
赤ちゃんは
何もできない
それでも
ただ存在しているだけで
周りに安心や
やさしさを生み出す
それは
「何かができるから」ではない
「存在しているから」
この感覚を
わたしたちは成長する過程で
少しずつ見失っていく
代わりに
外側に価値を求め始める
評価
役割
成果
関係性
それらはすべて
変わり続けるもの
変わるものに
価値を置く限り
安心は続かない
だから
人は常に問い続ける
「まだ大丈夫だろうか」
「まだ必要とされているだろうか」
その不安は
どれだけ満たされても
消えることはない
なぜなら
そこに在る価値は
本当の意味で
自分のものではないから
外側の価値は
一時的に
安心を与える
けれど
それはすぐに消える
だからまた
証明しようとする
この繰り返しが
自分を追い立てる
けれど本当は
止まっていい
その空白の中に
本来の価値がある
何もしていない自分
何も持っていない自分
それをそのまま
認めること
それが
存在価値に触れること
何かを満たす必要も
条件を揃える必要もない
ただ
存在している
それだけでいい
存在価値を見失う理由
わたしたちは
成長するにつれて
「存在しているだけでいい」という感覚を
手放していく
言葉を覚え
評価を受け
経験を重ねる
その中で
「できること」や「役割」が
価値だと学ぶ
そして
本来持っていた価値を
自分で覆い隠してしまう
けれど
それは失われたわけではない
ただ
見えなくなっているだけ
どれだけ遠くに行っても
その価値は
自分の内側にある
在り方と存在価値
在り方が整うとは
何かを付け足すことではない
本来の位置に戻ること
揺れの奥を見つめ
外側ではなく内側に立つとき
わたしたちは
存在価値の上に立つ
そのとき
外側の世界に対する見え方が
静かに変わっていく
何かを証明するためではなく
ただ
自分として生きる
それが
在り方であり
存在するということ
存在価値は
見つけるものではない
思い出すもの
そして
それはずっと
そこにある
