子どもは「感じる力」そのもの
子どもは
世界を
言葉よりずっと手前で
感じている
気配の揺れ
空気の重さ
色の濃淡
音のわずかな変化
理由を探す前に
身体が先に反応している
子どもは
「感じる力」そのものだ
わたしは
子育ての中で
それを何度も見てきた
まだ
うまく言葉にできない
自分の中にある「何か」
それが何なのかは分からない
でも
身体には
正直に現れてしまう
たとえば
「学校に行きたくない」
理由を聞いても
言葉にはならない
だから大人は
理由を探そうとする
でも
まだその子が
その感情に
名前を持っていなかったとしたら
まずは
その子の中にある揺れに
触れていくことから始まる
そうしないと
本当の気持ちは
置き去りのまま
大きくなっていく
だから
「表現しても否定されない時間」が
必要になる
言葉にできなくてもいい
その中では
たくさんの心の動きが
起きている
でも
その瞬間に
「どうして?」
「ちゃんと話して」
と求められ続けると
その小さな揺れは
言葉になる前に
消えてしまう
子どもが世界を感じるためには
「揺れていい場」が必要だ
名前のつかない気持ちがあってもいい
そのままでいてもいい
そう思えたとき
内側は
静かに動き始める
その揺れを
受け止めてもらえる安心は
親子のあいだで
自然に育っていくものでもある
子どもは
身近な大人の状態を
そのまま感じ取っている
言葉にしなくても
迷いも
静けさも
空気のように
受け取っている
だから
大人が自分の軸に戻ると
子どもも
自分の方向へ動き出す
感性は
親子のあいだで
静かに連動している
子どもの感性を育てることは
大人自身の感性を
取り戻すことでもある
「待つこと」の大切さ
待つことは
何もしないことではない
内側の動きを
信じている状態だ
分からなくても
急がない
比べない
子どもの「待つ」は
止まっているようで
止まっていない
内側では
光が集まり
音がかすかに震え
言葉になる前の気配が
育っている
その時間を
奪わないこと
必要なときには
そっと寄り添う
それが
わたしにできる関わり方だった
子どもは
自分のタイミングで
世界とつながる
それは突然やってくる
ひらめきのように
ふっと立ち上がる
「できるようになったこと」よりも
その前に流れていた
静かな時間のほうが
その子の力をつくっている
だからわたしは
その静けさに
耳を澄ませていられるように
そっと寄り添い
信じて待っている
でもこれは
子どもだけの話ではない
大人になっても
同じように
言葉になる前の感覚や
内側の揺れは存在している
それを
急がずに受け止められる場が
必要だと感じている
