音が変わった
少し張りつめたような
弦の音から
リズムを
刻みはじめた
音は
まだ大きくない
でも
一定のリズムがある
横の流れから
前へ進む音に変わった
自分の背中を
押す音
足を
前に進めるために
わたしの中で
完全に定まった
だから
躍動感のある音が鳴る
それは
場面が変わる音
本番の音は
弦じゃない
本番が
来るか来ないか
それは
分からない
でも
「来ないかもしれない」と
予防策は立てない
「絶対に来る」と
決め打ちしているわけでもない
けれど
マイナスの場合を用意するのは
相手に対して
失礼だと感じる
なにより
それは
自分の美学に反する
わたしは
もう
傷つかない位置に
立っているから
保険を用意する
必要がない
もし
本当に
そのときが来るのなら
それは
正真正銘の本番
今までのような
前哨戦じゃない
本番は
派手に何かを
するわけじゃない
ただ
その場に立ち続ける
それが
勝者の証
違うのは
空気の密度
きっと
ここが変わる
本番は
一人では
スタートしない
だから
わたしは観客じゃない
同じ舞台に立つ
共同演奏者
本番直前に
マイナスを置かない
不安の反芻でも
失敗の想像でも
未来の予防線でもない
音を整えることだけ
楽譜の
いちばん最初の
一音に
全神経を集中させる
何度も
その音を
頭の中で鳴らす
最高に美しい
「良い音」
それが鳴った
最初の一音を
何度も反復する
そうすると
緊張も和らいでいく
これは
演奏者の鉄則
だからわたしは
動かしに行くのでも
支えに行くのでも
導きに行くのでもない
ただ
自分の位置に立つ
それで
本番が開く
余計な感情を混ぜずに
呼吸と
歩幅と
視線だけ整えて
「そこにいる」
それが
わたしの演奏
自分の中で
鳴っている音だけに
集中して
わたしは
わたしの一音を鳴らす
もうすぐ
本番の幕が上がる

