「逃げられない鏡」

相手の行動の

ひとつひとつから

わたしが傷ついていたことは

事実だけれど

そのことで

相手を

責めたい気持ちになったことは

一度もなかった

たしかに

一度だけ

はっきりしない

曖昧な態度に

釘を刺したことはある

でも

相手に対して

自分の気持ちを

分かってもらいたいとか

仕返しをしたいとか

そういった感情が

出てくることは

なかった

痛くなかった

わけじゃない

悲しさも

寂しさも

悔しさも

痛みと一緒に

いつも感じていた

ただ

それを

何かの形にして

相手にぶつけようとは

思わなかった

苦しいけれど

負の感情を

勢いで外に出しても

何も得られないと

分かっていた

自分の感情は

自分で引き受ける

もちろん

筋の通らない

理不尽なことをされたなら

話は別だけれど

そのときは

わたしも

黙ってはいない

わたしが傷つくと同時に

相手も傷ついているのが

見えていた

もともと

なにか

深い傷を持っている人だということも

だからこそ

わたしが

腹いせのような行動を

取らなかったように

わたしに対して

わざと

感情を煽るような行動を

取ったわけではないと

思っている

お互いに

それぞれの内面で

感情を

処理していた

それがあったから

余計に

自分の傷に

気づけなかったのだけれど

痛みを

痛みで返さない

これは

我慢じゃない

痛みを

「循環させない」

選択だった

自分がされて

嫌だと思うことは

相手にもしたくなかった

完璧には

できていなかったかもしれないけれど

いつも

その気持ちは

忘れずに持っていた

ただ

わたしが

相手を

責めずにいるほど

相手の痛みも

増すことになっていたと思う

責められない状態は

逃げ場がないから

わたしが責めていたら

わたしを悪者にして

そこから

逃げることができる

でも

それができないから

全部

自分の内側で

処理しなければいけなくなる

わたしは

「痛みを投げない強さ」を

持っている

でも

それは同時に

「自分の痛みから逃げられない鏡」を

渡すことでもあった

だから

傷ついていたのは

わたしだけじゃない

お互い

同じくらい

痛かった

ぶつかっていれば

一瞬で

終わったのかもしれない

でも

わたしたちは

それぞれが

内面で向き合った

だから

深くなった

これは

依存関係では

絶対に

起きない

依存はぶつけ合う

成熟は内面で向き合う

だから

わたしたちは

静かに

つながり続けた

わたしは

自分のことを

完璧な大人だとは

思っていないけれど

相手に対しては

わたしよりも

大人な人だと

ずっと

感じていた

その理由は

きっと

これだった

一人で向き合う覚悟のない人間を

自分と対等だと

認めない私が

どうして

明確な反応を

示さない相手を

切り離さなかったのか

それは

表面では

向き合いきれていなかったけれど

内面では

自分と向き合っているのが

分かっていたからだった

渡された鏡に映った

自分の痛みと

逃げずに

正面から向き合っていた

きっと

わたしは

それを感じ取っていた

だから

相手に対して

「絶対大丈夫」と

信頼を失わずに

ここまで来ることができたのだと

強く

静かに

そう

感じている

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