わたしたちはずっと
「離れる」ことはなかった
距離を取ったり
接触できなかったりはしたけれど
姿がなくなることはなかった
話ができなくても
お互いの姿は見ていた
これが
わたしたちの形だった
完全に姿がなくなり
別の場所で
それぞれが自分と向き合う
これも精神的に苦しかったと思う
でも離れていなかったからといって
楽だったわけじゃない
「会えるのに近づけない」
精神的に削られる状況だった
見ているから
揺れは起こる
でも近づけないから
ぶつけることができない
それぞれ
自分の中で
消化するしかない
なぜわたしたちは
こんな形の関係性なのか
ふと考えた
すると
ある事実が浮かび上がってきた
いつも接触しに行くのは
わたしからだった
それは
自分の知りたいことや
自分の中で生まれたものを
共有したかったから
それをわたしは
言葉や見える形で
相手に渡していた
相手は
わたしの言葉を見て
わたしの心情や状況を理解していた
反対にわたしは
相手の本音を
明確な形では受け取っていなかった
けれど
わたしたちは
意思疎通ができていた
それは
わたしの勝手な思い込みでも
妄想でもない
なぜなら
その確信が消えなかったから
わたしは
相手の反応や行動から
相手の意思や状態を
「読み取っていた」
最初から
手放しで妄信していたわけじゃない
相手に接触するきっかけとなった
あの時期の出来事が
はじまりだった
感じて
読み解いて
つながりを見つける
わたしは
これをずっと繰り返していた
相手を見て
感じ取って
自分の中に浮かんだビジョンや言葉
その感覚を
消さないようにした
でもまずは
感じるところまでで
止めるようにしていた
この読み取る力は
むかしから持っていたものだった
ずっとそうして
空想を広げて
自分の世界をつくっていた
大学生のとき
あるテーマを掘り下げていた
なぜ人は
舞台や映画を見て感動するのか
一体、人は
「何に」心を動かされているのか
それを考えていた
人は悲しい出来事そのものではなく
そこに至るまでの「時間」に
心を動かされている
時間の流れに
共感を重ねてきたから
その悲しい出来事を目にしたときに
感情が一気に溢れて
涙が出る
だから物語の内容だけに
心を動かされているのではなく
時間の経過と結果
その構図が感動を生み出している
この考えに至った
そのことを
当時一緒にいた人に
共有したくて話した
でも返ってきたのは
「こっちの内面を分析してほしくない」
わたしは
その人の内面を分析したのではなく
人の心理の構造を
見つけただけだった
勘違いされてしまい
怒らせてしまった
普段は
わたしがその人の状態を
読み取って動くことには
好意的に受け取ってくれていたのに
構造の話になると
受け入れてもらえなかった
抽象ではなく
具体性が高まるから
心を覗かれた感じがしたのかもしれない
このときのわたしは
ショックを受けていた
「わたしのこの行為は
人を傷つけるんだ」
そう感じてしまった
そこからわたしは
深く思考することを
避けるようになっていった
人が関わっていないものには
抵抗なく深められるけど
実際の人を目にして
感じたことを
そのまま存在させて
深めることはしていなかった
だからその行為が
再び自分の中で
繰り返されるようになったとき
勢いが強かった
制御しないと
どこまででも飛んで行ってしまう
それは事実ではなく
自分の思い込みになる危険があった
そのため
意味づけをして広げすぎないように
まず、事実のみを観察する練習をした
すると次第に相手のパターンが
見えてくるようになった
ここで
事実が一致した
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相手を見て
感じた印象を「消す」のではなく
自分の解釈をのせない
こうすれば
「感じたこと」も
「事実としてあるもの」も
存在させることができる
これを繰り返しながら
わたしは
読み取る精度を高めていった
この力が鍛えられるほど
「相手とのつながり」への確信も
揺るぎないものになっていった
それは
相手への信頼でもあり
自分への信頼でもあった
そしてそれは
わたしだけの変化ではなかった
相手もまた
わたしを見ながら
自分を出す練習をしていたのだと
思う
「自分の感覚を信じる」
いまのわたしは
目の前にいる人の
「状態」を見ることができる
その人の
明確な感情や思考は
分からない
でも
その人が自立している人なのか
内側と外側が
まだ一致しきれていないのか
外に向けて出したいのに
そうできずに葛藤しているのか
責任を引き受けることに
まだ怖さがあるのか
そういったものを
言葉の端々や
目の動き
立ち姿などから
読み取ることができる
これは
わたしの長所であり
ひとつの能力でもあった
そしてそれは
鍛錬を積んで磨いてきたものだ
この力が強かったせいで
苦しんだこともあるけれど
自分で扱えるようになったいま、
自分の自信になっている
総合芸術に戻るまで
ひとつずつ取り戻してきた
最後にもうひとつ
必要だったのは
この「読み取る力」だった
これが加わって
はじめて
「わたしの光」が完成する
わたし自身を描くと決めたとき
わたしに見えている
この「抽象的な世界」を
地に足がついた言葉で
表現したいと思った
根拠のない空想で広げるのではなく
事実をもとに
上から下まで
綺麗なつながりを導いて
視覚化する
「目に見えない領域を
現実の言葉で翻訳する」
――空想と現実のあいだ――
これが
わたしのやりたいことであり
わたしにしかできないことだと
強く感じた
自分の作品にも
アトリエで子どもと空間をつくるのにも
必須となる力
すべての土台になる力だ
相手との
あの距離で過ごした時間の中で
わたしはこの力を
静かに磨いていた
いま、ここから
発揮していく
このときのために

