“無償の愛”
“無条件の愛”
この言葉が
あまり好きじゃなかった
それはたいてい
我慢や犠牲の言い換えで
使われることが
多かったから
無理やり、自分に
言い聞かせているような
そんな印象を持っていた
でも、いま
その言葉を
書いてみたいと
思っている自分がいる
何も与えなくていい
何も受け取らなくていい
ただ、ここにある
という形で
“どんな状態でも
すべてを受け入れる”
これが
無償の愛を
語られるときに
よく出てくる言葉
なんとなく
イメージはできる
頭で
理解もできる
でも、この
“すべてを受け入れる”
これは一体
どんな状態を
指しているのか
それは
未熟な相手を
庇うことでも
自分が相手の状況に
合わせることでもない
無償の愛に
可哀そう、とか
助けたい、とか
そういう感情は
含まれない
自分と相手の
立っている位置に
隔たりがあることが
見えたとしても
それでも
自分を保つ
無理をせずに
明確な線を
引いて
相手の可能性を
信じることが
できるかどうか
「変わることができたら
受け入れる」
それは
相手が変われるかどうかを
問う言葉ではなく
自分がどこまで
関われるのかを
確かめる言葉だった
境界線は
相手を遠ざけるものじゃない
自分が、自分を
裏切らないための線だ
それは
甘くはないと思う
でも
曖昧な優しさより
ずっと誠実で
信じられる
待つでもなく
やめるでもなく
お互い
自分のペースで生きる
ただ、
“自分が関われるのは
ここまで”
それを
示せるかどうか
「変わったら愛する」
と言っている
わけではない
ただ、今の自分たちでは
交差しない
そう、言っているだけ
どちらが正しいとか
劣っているとか
そういうことじゃない
曖昧にしたり
相手が変わらなくても
情で受け入れたりすること
それは一見
優しさのように見える
でも、これでは
いずれどちらかが
壊れる
結局、誰の成長も
信じていないこと
になるから
相手を
変われる存在として尊重し
自分も戻らないと決める
だから
誤魔化さない
逃げ道を
つくらない
でも決して
縛っているわけじゃない
相手の判断は
相手に委ねる
相手がどう在っても
自分は自分
それが
できるかどうか
無償の愛は
自分の尊厳も
相手の尊厳も
両方を守ることができる
とても高度な選択
わが子に対する
愛と同じ
どんな姿でも
どんな状況でも
関係ない
愛しい存在

