人が変化する瞬間
人生のうちで
その瞬間を
この目で見られるのは
何回くらい
あるのだろう
もしかしたら
一度もないかもしれない
さなぎが
蝶になるように
人が
本来の自分を取り戻して
踏み出していく
それを
ドラマや言葉ではなく
“気配”で見る
わたしにとって
それは
幸運な
奇跡のような瞬間
そして
ずっと
見たかった光景
自分の中にある
衝動
“本能”と呼ばれるもの
大人になるにつれて
見えないところへ
隠されていく
これに
正直になることは
“理性が負けたら
人として負けだ”
こんな考えが
自然と
植え付けられていく
たしかに
自分の欲望のままに
生きることとは
少し違う
それでは
世界で生きていくことは
できない
ただ
自分の中の
強くて熱い
まっすぐに
燃え続けている
その存在に
気付かずに
生きている人もいる
気付いていても
“表に出す
ものじゃない”
存在として
認識している
これは
人間を形作っている
その人の核の部分
自分の中心
自分そのものだ
だから
大人になると
隠してしまうのも
当然といえば
当然だ
それだけ
エネルギーが大きく
下手をしたら
自分が
飲み込まれて
しまうから
家族や
社会的立場といった
守るものができると
ますます
その存在は怖くなる
存在に気付いているなら
なおのこと
自分を脅かす
驚異のように
思ってしまう
自分の気持ちに
正直になったら
どうなってしまうのか
その先が
想像できなくて
自分を揺らす存在から
距離を置く
そうやって
本能に触れることから
自分を遠ざける
本能とは
自分の中にある
濃縮された
“欲”のようなもの
決して
きれいなものとは
言い難い
荒々しくて
ドロドロした
濃いもの
素手で触れると
火傷をするくらい
煮えたぎっている
力が強すぎて
全力で制御しないと
たちまち暴れ出す
これが
“衝動”という形で
表に出てくると
“欲しい”
“手に入れたい”
“逃したくない”
“でも怖い”
欲と恐れが
同時にあらわれる
だから
その状態は
未熟で
濁っていて
でも生々しく
とても危うい
“未完成の火”
のような
揺らぎをもつ
近づくと
取り込まれて
しまいそうな
そんな強い
“圧”がある
でも言い換えると
それは
嘘がなく
隠すことができず
本性が出ている
ということ
自分の
素の姿
この自分に
出会えるのは
人生で
一回
あるかないか
だから
この自分に
出会えることは
奇跡に近く
出会わずに
一生を
終えてしまうことは
本当に
もったいないことだと
感じる
動物的なものを
出せる瞬間
自分の本能が
むき出しになった姿は
人生という
時間の中では
ほんの一瞬だけ
わずかな時間にしか
その姿を見せない
だからこそ
その姿は刹那的で
人間の
最も
美しい姿
自分で選んで
自分で動いた
きっと
その瞬間に
“生きている”
そう心から
感じることができるはず
自分の中の
“野性”を認める
その体験をすると
人は変わる
一度は
その衝動を
解放する
出さないと
調整もできないから
そして
本能が削ぎ落とされ
純化されたものが
“意思”へと
変化していく
圧ではなく意思へ
本能ではなく覚悟へ
欲ではなく向かうへ
こうやって
暴れていた存在を
扱える存在へと
変えていく
だからといって
自分との戦いが
終わるわけではないけれど
ここも
“泥”から”鍛錬”へと
変わっていく
その変化の瞬間
ずっと
見たかった姿
きっと
その時が来ると
信じていた
嵐の中を
潜り抜けて
自分で舵を握る
まだ
輪郭は
固まりきっていない
でも
方向は
見えつつある
そんな
変化の途中
とても力強くて
まっすぐな
静かな意思が
そこに
見え始めていた

