自分の
本当の「声」を聞くとき
すぐに
聞こえる人と
聞こえにくい人がいる
どちらが
良いとか
悪いとかじゃなくて
構造が
違っている
すぐに
自分の声を
耳にできる人は
それが
鳴った瞬間に
気付くことができる
でも
音が大きすぎて
対処ができず
飲まれてしまいやすい
自分の声が
聞こえにくい人は
音が鳴っていても
すぐには
聞こえてこない
でも
何かが鳴っている
気配はある
そんな感じ
すぐに
聞こえる人は
その
大きな音の中で
一緒に揺られながら
いちばん
底まで潜り
「本心」に辿り着く
でも
その「本心」を
抱えたまま浮上して
上に戻ることができない
だから
「本心」を
持ってしまうと
底から
動くことができず
そのまま
揺れ続けることになる
声が
聞こえにくい人は
基本的に
音のある中で
生活をしている
だから
余計に
気づきにくい
聞こえたとしても
聞き慣れない
その音から
まずは
距離を取ろうとする
得体の
知れないものとして
触れるのを
怖がる
だから
そのまま
聞かずに終わる人も多い
片方は
聞こえすぎて
もう片方は
聞くために
踏み出せない
この両者に
必要なもの
それは
「クッション」の存在
クッションが
あれば
聞こえすぎる人は
それを抱えて
浮上することができる
すると
どうなるのか
クッションがない状態だと
感情が
先に溢れてしまう
だから
泣きたいわけじゃないのに
言葉を発するだけで
涙が出てしまったり
外からの刺激を
ダイレクトに
受けてしまって
深い傷に
なることもある
でも
クッションがあれば
これが緩和される
緩衝材となる
音が近くにあっても
揺れ切らずに
日常生活を
送れるようになる
反対に
声が聞こえにくい人は
静寂の中にいると
その「本心」が
聞こえてしまいそうになる
だから一度
ノイズの中に
自分の身を置く
その
ノイズの役目をするのが
クッションだ
いきなり触れるのではなく
「本心」に着く前に
クッションを使う
一見すると
音に飲まれて
揺れているようだが
そうじゃない
ノイズの中にいながら
自分を整えている
外側は
忙しそうに
動き回っているが
内側は一点に集中し
「本心」までの距離を
少しずつ
縮めている
そこを通って
ようやく「本心」を
手にすることができるようになる
クッションは
隔たりを作るものではなく
段階を作るもの
「聞こえすぎること」
「聞こえにくいこと」
これは
感受性の強弱ではない
問題は
距離が調整されていないこと
だから
クッションは
「逃げ」ではない
それは
自己調整のための
「装置」
聞こえすぎる人と
聞こえにくい人は
それぞれが
立っている位置から
「本心」までの
距離が違っていた
音に近すぎる人は
クッションと
常に一緒に生きる人
音に遠すぎる人は
クッションを
一時的に利用する人
どちらも
自分自身の声に
たどり着くために
必要な方法
それは
人間が
自然と身につけてきた
生きるための知恵

