自分の中に
小さな
引っかかりがあった
本当に
とても小さな
気にも
留めないような
それくらい
小さくて薄いもの
その場面が
何度も頭に
浮かんでくる
一瞬の出来事すぎて
何も読み取れない
でも
自分の中で
感じている
この違和感
これは何よりも
確かなもの
自分の中に
もう隠しているものはない
それは本当
だからこそ
感じられた違和感
それは
わたしの中で
最後まで残っていた
“恐れ”
最初は
自分を守るためだった
傷つきたくなかった
というよりも
自分と
向き合うために
外からの刺激が
邪魔だった
だから
その”選択”をした
自分自身と
真正面から
“真剣勝負”をするために
でも次第に
その”選択”は
自分以外のものを
守ろうとしていた
自分を
寄せることで
それが正解だと
思っていた
でもそれは
優しさの
形をした
“介入”だった
無意識
だったけれど
その形は
相手の足で
立つ力を
ほんの少し
奪ってしまう
もう
一人で自転車に
乗れるのに
なかなか
後ろで支える手を
離してくれない
乗っている
本人からしたら
「まだ信用されてない」
と感じるかも
しれない
わたしなら
きっとそう思う
その”選択”から
見えてくる
もう一つの事実
優しさや
配慮の仮面の奥に
潜んでいた”真実”
守っているつもり
待っているつもり
見守っているつもり
“安心の場所”を
つくろうと
していた
でも実際は
自分がその位置に
いることで
“安心”していた
それは
わたしが”恐れ”を
手放せなかったから
相手がちゃんと
自転車に
乗れるかどうかを
恐れているんじゃない
相手を信じて
いないわけでもない
自転車から
“手を放した自分”を
受け止められるかどうか
これは
自分を信じる
覚悟ではなく
“自分の恐れを
自分で抱える”覚悟
誰かの近くに
いることで
和らいでいた不安
それをもう
“人質にしない”
ということ
自分から
手を放すことが
できたら
“支える人”から
“同じ地面に立つ人”に
移っていく
それは
冷たさでも
距離でもなく
“対等さ”
役割が
反転する瞬間が
来ていた
それは
誰かの成長ではなく
位置の変化だった
ひとつの選択から
いくつもの
役割が生まれていた
何度も
目の前で交差して
入れ替わっていた
待っていた
つもりが
また
待たせて
いたのかもしれない
待つとか
待たせるとか
これは
行為ではなく
意識の
置き所の話
自分の意識を
ひとつずつ
元に戻していくと
重なり合った
その中に
違う方向を
向いている
ものがあった
それが
見えてしまった
それだけのこと
探し出した
わけじゃなく
気づいたら
そうだった
これは
安全と安心がないと
見えないもの
自分が
完全に戻ったあとにしか
見えてこない
景色だから
それは
誰かを信じた
結果ではなく
自分に戻った
結果だった

