「孤独の鏡」

大人と子供

きっとこれが

お互いの

テーマになっていた

わたしは

自立できていないラベルを

貼られてきたことで

「本当は大人なのに

 子供扱いをされる」

という歪みの中で

生きてきた

自分のことを  

足りていないと

思っているから

だから

証明するように

「何でもひとりでできる」ことを

大人のゴールとして

設定する

そして

そこに向かうのに

誰にも頼らず

一人で抱える自分を

選び続けてきた

本当に

心がよく壊れなかったなと

感心するくらいに

こうして

自己犠牲のわたしが

作られてきた

反対に

相手は

どこか子供っぽく見られたり

けれど

本人は

自分のことを

大人だと思うように

していたのかもしれない

社会人で

頼られる立場なら

なおさら

子供っぽく見られるたびに

自分の内側と外側が

少しずつ

揺れていた

内側では

自分の足元が

まだ定まっていないことを

わたしが

鏡のように

映してしまった

だから

誰かに頼られると

自分が必要とされていると感じて

要求に応じ続けて

いたのかもしれない

頼られることが

「大人である証明」だったから

それは

自立ではなく

「役割」だった

ここでも

自己犠牲の形が

生まれている

どちらにも

共通しているのは

大人になることへの焦り

大人になりたくないのではなく

誰よりも

大人になることを

望んできたと思う

きっと

お互い

自由への渇望と

自立心は

とても強い

それなのに

それを

うまく伸ばせない環境で

生きてきてしまった

むかしから

集団に入ることが

苦手だった

思春期によくある

あのグループに

どうしても

馴染めなかった

でも

わたしはこれまで

自分のことを

孤独だと

思ったことがなかった

家族も

友人も

子供もいる

「一人」に

なったことはない

だから

わたしは

孤独じゃないと思っていた

それ以前に

そこに

考えが至らなかった

でも

相手がいる

馴れ合いの輪を見て

「そこに入れない」という孤独

に気付いた

きっと

子供の頃から

ずっと抱えてきた感覚

それに

名前が付いた

その

馴れ合いの輪に

憧れたわけじゃない

「自然に混ざれている人たち」を見て

「誰かとともに在る」という

自分に欠けている

ピースを見つけた

一方で

相手は

ひとりで立っている

わたしを見て

「ひとりで立てていない」孤独に

気付いたのかもしれない

孤独は

ひとりでいることじゃない

人の中にいる

孤独もある

わたしは

混ざれない孤独

相手は

離れられない孤独

形は違うけど

同じ孤独

どちらも

まだ定まらない

どちらも

自立の途中

それぞれが

抱えている孤独に

気付くこと

それが

わたしたちの

入口だった

この入口を通ると

その先は

鏡のように

同じ場所へと

繋がっていた

わたしは

相手の若々しさの中に

どっしりとした

強さを見ていた

大人と子供が

共存している人

わたしが見ていたのは

「未完成」じゃなくて

「芯の原石」だった

だから

惹かれた

反対にわたしは

見た目は

落ち着いているけれど

中身は

感性と発想で

生きている人間だから

子供っぽさが

かなりあると思っている

だから

もしかすると

わたしは

相手の中に

「大人の強さ」を見て

相手は

わたしの中に

「子供の自由」を

見ていたかもしれない

外見も内面も

ぜんぶ

反対の状態

わたしたちは

鏡の関係だから

この対照性が

相手にとって

わたしは

「大人の鏡」であり

「大人になる圧」でも

あったのかもしれない

わたしは

相手のことを

「子供」だと感じたことは

一度もない

むしろ

内面の深い部分に

とても成熟した知性を

感じていた

内面と外面が

一致していない人

そんな風にも

思っていた

でもそれは

わたしも同じだった

自分の中の不一致感は

ずっと

自分でも自覚していた

お互いを映し合って

自分を取り戻してきた

それは

痛みを伴う作業だった

鏡だから

目を背けられないけど

反対だからこそ

面白いし

飽きない

そんな

見事なまでに

綺麗な

補完の関係

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