「光」

“わたしも

あそこであの光を浴びたい”

舞台袖から

ライトと拍手を浴びる

演者の姿を見て

そう

思ったことがある

どうして

わたしは

舞台上ではなく

舞台裏に

いるんだろう

それは

自分の中にある光に

初めて触れた

瞬間でもあった

むかしから

なぜか

目立つタイプだった

派手な格好を

しているわけでも

目立つ発言を

しているわけでもない

どちらかというと

大人しくて

目立たない人間だった

自分では

そう思っていた

でも

周りから視線を

向けられたり

時には

反感を買ったり

攻撃される

ことさえあった

すると

自然と

自分を抑えることを

身につけ始める

目立たないように

自分を調整する

だから

自分では

“前に出ることが

好きじゃない人間”

そう思って

生きてきた

表じゃなくて

裏で支えるのが

わたしに合った

生き方なのだと

長い間

自分の光を

隠して

生きてきたから

自分が

どんな種類の光を

持っているのか

全く

分かって

いなかった

舞台芸術の世界に

魅かれたことも

舞台に立つ演者を

羨ましいと

感じたのも

創作することで

心が満たされることも

わたしの光が

“見てもらうことで

完成する光”

だったから

太陽のように

中心から

放射する光

だから

隠すと濁る

抑えると歪む

出ている時が

いちばん自然

“意図して出す光”

それが

わたしのもつ光

自分の光を

自覚すると

もう一つの光にも

気付くことができた

わたしの光と

同じくらい強い

でも

出し方の美学が違う

そんな光

自分で

制御しないと

周りが

眩しすぎるくらいの

強さを持っている

でも

周りを

明るく照らすような

出し方はしない

時間をかけて

空気に溶けて

いくような

抑えると

消えたように

見えるけど

実際は

ずっと在る

“在り方として

滲み出る光”

似ているけど

違う二つの光

“滲み出る光”も

太陽のような

輝きを持っている

だから

役割を背負うと

本来は

内にある

この眩しさを

外に

放ち出してしまう

“頑張って”

光を放つ

役割としての

光になる

でも

それは本質じゃない

反対に

わたしの光は

役割由来じゃない

存在由来

見せたい

表現したい

ここにいると

分かってもらいたい

こういう

人間的で

正直な動機から

きている

だから

太陽みたいに

堂々と出しても

全く

頑張っていない

それが

本質だから

片方が

太陽だからと

もう片方が

月になる必要はない

影に隠れなくてもいい

太陽が

照らして

くれるから

頑張って

自分が

照らし続けなくていい

休んでもいい

役割を下ろしてもいい

本来の自分の

光に戻ってもいい

在り方から

滲み出る光は

そこに

存在するだけでいい

空気に

溶けた光は

温度として

長く残る

その

ほのかな温かさに

近くにいる人は

安心する

滲ませているときが

一番美しい

そう感じる

光には

出す光と

滲む光がある

どちらも強い

ただ

使い方を

間違えると

自分を消耗させる

だから

自分の光は

自分で選んだらいい

あの

舞台袖から

見た光景

あれは

未来の

自分の姿だった

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