あの日の
あの言葉
深い意味のない
短い言葉
よく交わされる
ありふれた言葉
あの言葉を
“自分の試合から降りない”
自分への
決意表明だと
受け取った
確認はできないけれど
その姿勢が残った
わたしはいま
これまで走って
内面で積み重ねて
きたものを
現実の世界に
落とし込んでいる
内側でどれだけ
深く掘って
構築しても
外の世界に
置くことができなければ
それは
机上の空論で
終わってしまうから
それでは
“理想と現実の
あいだを表現する”
わたしの理想から
ずれてしまう
今ひとつひとつ
確かめながら
着実に進めている
自分で蒔いた種から
芽が出始めた
自分の言葉を
受け取ってくれた人がいる
結果や評価といった
見返りを求めて
創っているわけじゃない
ただ
自分の衝動を
形にしているだけ
でも
もしも誰かが
響くものを感じ取って
くれたのだとしたら
とても嬉しい
けれどそれは
目的じゃない
それでもやっぱり
わたしの言葉に
反応してくれたという
事実が分かると
なんともいえない
静かな
喜びがあった
表現者としての
土台をならしている
わたしにとっては
最高の肥料となった
確実に
自分の自信になる
「うん、間違ってない」
「このまま進んで大丈夫」
そうやって
確かめている
自分の表現を
より現実に
耐えうるものにするために
ある部分までは
どうしても
ひとりでやり抜く
必要がある
でも
ある地点からは
「受信」された体験が
必要になってくる
自己肯定とは違う
「自分は現実の中で
受け取られる形で
立てている」
そういった感覚
“認められたから嬉しい”
というものじゃない
“外界と接続できている”
その確認が
取れた状態のこと
これが
積み重なると
自分の選択が
揺るぎない確信へと
固まっていく
自分で選択したものが
現実で生かされる
それが
“現実を動かす”
ということ
それは同時に
自分から逃げずに
選び続ける
ということ
自分自身との試合を
続行している
ことでもある
その姿は
必ず外に滲み出る
だから
ひとりじゃない
覚悟を持って
本気で
動き出したなら
必ず
見ている人がいる
人間の本気や覚悟は
空気や他者をも
動かすことができる
だからこそ
強いエネルギーが生まれる
だからもし
本気で自分と
戦う決意をしたのなら
わたしはあなたに
“エール”を送りたい
伴走することは
できないけれど
離れた場所で
わたしも
自分の試合をしている
だから
“並走者”として
同じ地点に
向かいたい
そこに広がる
景色を目指して
わたしも
走り続ける

