芸術が人にもたらすもの―美の働きと浄化作用―
「美」を感じる時間
なぜ
人はそれを
求め続けてきたのだろうか
その答えは
芸術が持つ
浄化作用にある
わたし自身も
美術館や劇場へ
足を運ぶのが好きだ
ひとりで
ふらっと出かけて
世界に浸ることが
至福の時でもある
絵画を見ていると
目の奥が
押されるような
感覚になる
目の前にある色が
わたしの中の
何かと溶け合って
自分の中に
溜まっていく
絵画を見ているときは
何も考えていない
ただ
「音」を聴いている
絵画そのものではなく
空間との
在り方を感じている
絵や空間から
音が
「聴こえて」くる
反対に
音楽を聴くときは
わたしの中には
ビジョンが流れてくる
それは
視覚として流れるときもあれば
感触として残るときもある
わたしは音楽を
「見ている」
美に触れている
あの時間
わたしの内面では
このような動きが
行われている
受け身のようでいて
実はとても
能動的な関わり方
わたしは作品と
「対話」をしている
作品との対話で
心が動くことで
心の中にある
澱みが洗われる
このように
芸術には
共通する浄化作用が
存在している
人はふだん
言葉にできない
整理できない
深すぎる感情を
持っている
でも人は
言語化できないものを
抱え続けると
苦しくなる
そこに
芸術が現れる
絵
音
言葉
身体表現
空間
光
それらは
言葉にならない感情を
「形」にしてくれる
内部の混乱や圧力を
外に出してくれる
また
人は「自分の感情」を
外側で安全に見ると
とても癒される
作品に触れたとき
「あの感情を知っている」と
感じる瞬間がある
それは
実際に自分が
言ったわけでも
体験したわけでもないのに
自分のものとして
感じられる
外側の作品を見て
その核にある感情が
自分の中の感情と共鳴し
反応する
つまり
芸術は
人の「言えなかったもの」を
代わりに言ってくれる
代弁者だといえる
芸術は拒絶をしない
すべてを受け止める
だから人は
安心して
感情を流し込むことができる
感情が
解放される
このように
芸術
すなわち「美」は
人の心理と
密接に関わっている
だからこそ
いつの時代も
人は美のある場所へ
足を運び続けてきた
美は
人を癒し
人生に色を添えてくれる
それほど
人と共にあったはずなのに
「必要かどうか」
を問われた瞬間
芸術は
優先順位を下げてしまう
多くの家庭が
「感性を伸ばすため」と
芸術系の習い事を選ぶ
けれど
多くの子どもは
小学校高学年
あるいは中学の前に
やめてしまう
「勉強があるから」
「向いていなさそうだから」
「上達しないから」
では
「感性を伸ばす」とは
いったい何を指すのだろう
美のあいだに生まれるもの――芸術の本質について――
「芸術」というと
多くの人は
特別なものを想像する
美術館で
鑑賞する絵画
高度な表現
敷居の高い
遠くにある「何か」
けれど
人は日常の中で
すでに
芸術を浴びるように
生きている
夜に読んだ
漫画の一コマに救われ
映画やドラマの
ワンシーンに涙する
それはすべて
心の浄化作用を持つ
「芸術体験」だ
ただ
本人がそれを
「芸術」と
認識していないだけで
では
芸術とはなんなのか
なぜ人はそれを求め
心が動くほどの影響を受けるのか
わたしは
その理由を
ずっと考えてきた
一般的に
芸術とは
3つに定義されている
①作品として存在するもの
②美しさや感動を生み出す表現
③人間の内面を映し出す営み
しかし
わたしにとっての
芸術の本質は
そこではない
芸術とは
「心が動く現象」のこと
作品や技術や
様式よりも前にある
心が動く
内側で波紋が広がる
何かが違うと感じる
自分の奥を照らされる
言葉にならない
気配に触れる
その瞬間(=体験)こそが芸術
そして
その瞬間は
単体では生じない
一方通行ではなく
双方向の動きが
生まれる形
その「関係性」があって
初めて「美」が立ち上がる
つまり
芸術(美)とは
関係性で生まれるもの
人と世界の
「あいだ」で生まれる
心の動き
そのもの
作品は
「きっかけ」であって
本質ではない
本質は
作品ではなく
心の現象(体験)にある
だから
芸術とは
高尚で特別な
才能を持った人だけの
ものでもない
もっと身近で
自分たちの生活に
密接に関わっている
存在だといえる
「芸術」という
言葉のイメージに縛られて
固定概念を
生んでいる
そう思えて
仕方がない
もし
芸術が
自分たちの日常に
当たり前のように
「在るもの」だと
認識できたら
それだけで
心の在り方が
変わってくるのでは
ないだろうか
作品が放つエネルギーとは何か――心が動く理由――
人は創作物に
心が動かされる
では
創作物の「何が」
見る側の心を
動かしているのだろうか
絵画を例にあげると
分かりやすいかもしれない
たとえば
ゴッホの作品
「星月夜」と「ひまわり」
「星月夜」は
不安定さや苦しみ
混乱といった感情を
あの「うねる夜空」で
強烈に揺れ動くさまを
あらわしている
また
「ひまわり」は
明るさや生き生きとした
「希望」を
作品にしようとした
といわれている
つまり
同じ人間が描いても
そのときの心の状態で
作品の存在が
変わってくる
なぜなら
創作物には
創り手のエネルギーが
宿っているから
ここで言えるのは
作品の色や表現が
必ずしも
安定=明るい
混乱=暗い
に直結するとは
限らないということ
痛みの中に希望が
明るさの中に絶望が
混じることもある
この振れ幅こそが
作品の持つ
エネルギーといえる
絵だけではない
写真
文章
音
すべてに
創り手の磁場が残る
だから作品は
「ただの物体」ではなく
「人の気配」を持つ
創った人の感情
思考
意図
祈り
願い
記憶
そういった
「気配」の総体を
そのエネルギーが
受け手の内側にある
何かと共鳴したとき
そこに
「芸術」が生まれる
そしてそれは
人間の創作に限らない
自然もまた
ひとつの「創造物」であり
光
風
色
そのエネルギーに
人が心を
動かされることも
同じ意味で
芸術体験といえるだろう
だから
芸術は「物」ではなく
心とエネルギーが
響きあう現象そのもの
といえる
では
共鳴する人が
いない作品は
どうなるのか
創り手の
自己満足なのだろうか
それは
作品としては
自己完結している
状態といえる
しかし
芸術現象は
まだ起きていない
自分自身と向き合い
内側の声を形にして
自分の世界を
作り上げたことは
立派な創造の行為
しかし
他者の心を震わせて
初めて
芸術になる
だから
二者が必要なのである
言い換えると
これこそが
芸術家の
苦しみだといえる
その声を
届ける相手が
いるかどうか
その声が
誰の心にも届かずに
消えてしまうかもしれない
不安
その孤独と
ずっと戦っている
自分の作品は
誰かの心を
動かせるのだろうか
共鳴が
起こるのだろうか
そもそも
見つけて
もらえるのだろうか
表現をする人間は
見てくれる人がいて
初めて孤独から
解放される
それは
作品を通して
ありのままの
自分自身を
見てもらえた
ということだから
この不安を
抱えながらも
手を止めずに
表現し続ける人を
わたしたちは
「芸術家」と呼ぶ
