第二章 風がわたしに触れた日

目次

Prologue

久しぶりに触れた

その世界は

その時のわたしにとって

まるで用意されていたかのように

タイミングの良い

テーマを扱っていた

自分の進むべき道が

ようやく明確に見え

これからどう生きていくのかを

決意した直後だったからだ

ラストシーン

白い衣装をまとった

“自分の美学に生きる男

ボー・ブランメル”が舞台に立つ

その姿に

わたしの目は

一瞬で捕らえられた

そして

大粒の涙が溢れてくる

決して

泣くような場面ではないのに

胸の奥の何かが

反応してしまったのだ

彼の”美学”

“ダンディズム”

その世界が扱っていた

“美学”というテーマに

わたしの内側が反応した

わたしにとっての美学は

なんだったのか

そう問いかけられた瞬間

胸の奥に眠っていた

宝塚の世界が

静かに姿を現した

わたしの憧れ

わたしの夢

わたしの目標

わたしが青春のすべてを傾けた世界

この世界が

わたしという人間を形作り

わたしの美学の基本は

すべてここにある

わたしの原点

そして気付いた

わたしの美学のすべては

ここから始まっていたことに

この瞬間

胸の奥にあった”原点”という言葉が

まっすぐに立ち上がる

最初の衝撃

中学一年生の夏

初めて

宝塚の舞台と出会った

あの光景が

わたしの内側に

最初の”美学”を灯した

わたしが

初めて宝塚を知ったのは

劇場ではなかった

母が友人に誘われて

観に行ったのが始まりだ

帰宅した母は

これまで見たことのない

表情をしていた

静かな興奮状態

母にとっても

わたしにとっても

この世界との出会いは、人生を変えた

「初めて宝塚にいってきたの!」

という母に対して

「ここは宝塚市なのに

 何を言ってるんだろう…」

と思っていた

宝塚に住んでいながら

その”世界”の存在を

わたしはまだ知らなかった

そんなわたしの隣で

母は見る見るうちに

のめりこんでいった

母に勧められたわけでも

無理やり強要されたわけでもない

ただ、母が見ている

ビデオの映像と音楽が

ゆっくりと

わたしの中に浸透していった

そしていよいよ

その出会いのときがきた

いつものように流れている

テレビの映像に

わたしの目はとまった

薄暗い中にいる

輪郭のはっきりした存在

その存在は

「光」ではなく

油絵の具のような質感

まるで「塗膜」のように重く

いきなり存在していた

目が、離せなかった

呼吸をするのを

忘れてしまうくらい

目と胸が引っ張られるように

釘付けだった

ただ、

美しいだけじゃなかった

目が、”怒っていた”

それは

ただの感情的な怒りではなく

抑圧された自由への圧力

エネルギーが

立ち上がりかけているのに

出口がないときの圧

「出口がない

 でももう破裂寸前だ」

なぜか

そういったものを感じた

その怒りのような

強いエネルギーに

わたしは一瞬で魅了され

惹き込まれてしまった

風が始まった日

母のあとを追うように

わたしも

宝塚の世界に

のめり込んでいった

わたしが

魅了されたその人は

もうすでに退団されていて

生の舞台を観ることは叶わなかった

でも

ビデオを擦り切れるくらいに

何度も何度も見ていた

最初は

その人を追っていた

その人から

にじみ出ているものを感じたくて

ひたすらに求めていた

でも次第に

“人”から”舞台全体”へと

意識の矛先が変わっていく

その変化のきっかけとなったのが

中学二年生の時に観た

「エリザベート」だった

先に観劇しに行った母が

帰宅するなり

わたしに向かってこう言った

「これは、絶対見に行かなきゃダメ」

後日、わたしは

母に連れられて劇場に向かった

大人気の作品のため

チケットは完売

あるのは

当日券だけだった

12月の寒い日だった

始発の時間に車で向かい

当日券を購入するために

長い時間並んでいた

すごい長蛇の列だった

「みんな、この作品を観るために

 朝早くから来てるんだな」

そう思っていた

なんとかチケットを

購入することができた

席は立見席

それも前列ではなく二列目

わたしは

前の人の隙間から

舞台が見える角度を探した

母はこの日

体調が良くなかった

「わたしはいいから

 あなたは観ておいで」

そう言って

一番後ろの壁に

もたれて座っていた

わたしは

大人たちに囲まれて

開演を待った

そして、幕が上がった

風が起こった

目の前に現れた世界に

わたしの目は

一瞬で釘付けになった

これまで観てきた

どの作品とも違う

「なにこれ…」

まず音楽が

わたしを完全に

捕らえてしまった

胸が高鳴るのを感じた

息をするのを

忘れてしまうほど

予感がした

これはもう、

止められない

舞台上から

わたしに向かって風が来る

優しい柔らかいものじゃない

確かな輪郭

感触のある力強い風が

音楽、物語、ダンス、衣装

舞台装置、照明、役者の歌唱力

すべてが一体となって

その世界を具現化していた

「ミュージカルだけど

 音楽がクラシックだ…」

そう思った

あの日

風がわたしに触れた瞬間

わたしの中の何かが

確かに目を覚ました

それはまだ

名前のない衝動だったけれど

今思えば

すべてはここから始まっていた

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