「幸せの許可」

「わたしも

幸せになっていいんじゃないかな」

そう

思った瞬間

胸の中から

何か

大きなものが

盛り上がった

その

タイミングで

わたしの横に

息子がくる

「え?また泣いてる?」

すごい

勢いで

わたしの頬を

涙が

こぼれ

落ちていく

「どうしたの?」

近くに

寄ってくる

「もう、無理だ」

息子を

強く

抱き寄せた

息子の肩を

強く

抱きしめながら

泣いた

声を

あげながら

わたしの

「声にならなかった声」が

ようやく

外に出ることができた

ずっと

声になる前に

止められていた声

「わたしはここにいる」

「わたしは感じてる」

「わたしは生きてる」

この

存在

そのものの声

それが

やっと外に出られた

息子と共に

在る形で

人格否定を

繰り返される中で

生きてきて

わたしの中には

「幸せになってはいけない」

ではなく

「わたしは幸せになれない」

という

自己定義の前提が

出来上がっていた

自分自身を

殺して

相手に

すべてを

差し出しているときは

うまく

回っている

でもわたしが

「自分」を

出そうとすると

途端に

うまくいかなくなる

「夢を持っている自分」に

ぜんぶ

原因がある

「わたしだから」

無理なんだ

わたしが

幸せになるには

どちらかを

選ばないといけない

だから

わたしの夢と

パートナーシップは

「両立できない」

そうやって

選べない前提で

世界を

見ていた

「夢を生きることは

 関係を失うこと」

この方程式を

ずっと

信じて生きてきた

これは

わたしが

生き延びるための

生存戦略だった

こうでもしないと

わたしは

生きられなかった

あの頃のわたしにできた

唯一の方法

でも

そうじゃなかった

幸せになれないわけでも

わたしが

向いていないわけでもない

それは

ただの仮説

事実じゃ

なかった

いま

自分の中で

固く結ばれていた

鎖が

外された

夢も

誰かと共に

歩くことも

諦めなくていい

わたしの夢は

何かを壊さないと

成立しないものじゃない

両立できない

ものじゃない

あんなに

何かを

決めつけられることが

大嫌い

だったのに

自分で

自分のことを

決めつけていた

もう

何も諦めなくて

いいの

言葉を

飲まなくてもいい

欲しいものは

欲しいって

やりたいことは

やりたいって

自分に正直に

声に

出したらいい

どちらかを

選ばなくていい

何も

無理じゃない

「わたしは幸せになれる」

子どもたちの

そばで

わたしは

自分との契約を

解除した

そして

自分を

解放することができた

自分自身に

ようやく

出すことができた

「幸せになる許可」

という

小さな合図を

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