あのときのわたしたちは
同じ形のピースが
足りていなかった
相手は
動こうとしていた
でも
最後の一押しが
足りなかった
わたしは
準備ができていると
思っていた
けれど
土壇場で
受け取れなかった
どちらが
悪いとかじゃない
最後のピースが
お互いに残っていた
「本当に見られても大丈夫」
わたしは
ここにまだ
許可が下りていなかった
「わたし」の準備は
できていたけれど
その奥にいた
「小さなわたし」が
まだ震えていた
相手はきっと
空気や状況が
わたしを傷つけていたことは
感じていた
でも自分の行動が
「直接的」に傷つけていたとは
気づいていなかった
距離をとった
迷っていた
などとは違って
「自分が直接傷つけた」
これを認めることは
覚悟がいる
わたしは
傷ついた自分を
迎えに行く
相手は
傷つけた自分を認める
これが揃って
はじめて
本当に並べる
わたしは
一人でいることを
「選んで」きた
自己犠牲だったとしても
自分の意思で
動いてきた
でも
誰かとの輪の中で
生きてきた相手は
常に
相手次第の位置に
いたのかもしれない
選ばれる側
呼ばれる側
反応する側
自分の意思で
取りに行かない
傷つくリスクは減る
自分の本音を
世界に出していないから
でも
本当に欲しいものは
手に入らない
そして
孤独になる
それは
静かな自己否定だ
わたしに
「見てもらえない」痛みが
あったように
相手はきっと
「見つけてもらえない」痛みを
抱えていた
周りに合わせて
本音を消していく
自分で自分を
透明にしている
同調圧力の世界から
一歩を踏み出すのは
相当な
勇気がいる
わたしは
立ち続けることで
傷をたくさん作った
けれど
自分で選んだ事実があるから
後悔はない
でも
自分の声を消して
周りに合わせ続けていると
自分に対する後ろめたさが
消えなくなる
お互いに
拒否される恐れを
持っていた
わたしは
「見てもらえなかった」経験から
経験済みの怖さ
相手は
自分のいた世界から
「はじめて外に出る」
未経験の怖さ
その奥にあったのは
「本気の自分を差し出す恐れ」
誰にも見せたことのない
自分の本気
はじめての経験
それを否定されることへの
恐れ
未知への恐怖
わたしたちが
恐れていたのは
「相手からの拒絶」ではなく
本気の自分の姿を
初めて
外へ見せることだった
最後に
足りていなかったピースが
教えてくれた
たった
ひとかけら
その
小さな
勇気の存在を
わたしたちは
見落としていた

