「並ぶ自立」

誰かに依存すること

何かに執着すること

自分の足で

完全に立つためには

こういった感情を

一度

完全に切り離す

必要がある

自分の中に

足りない部分

満たされない部分

そういった

不足感があると

それを

人や何かで

埋めようと

してしまうから

そして最後は

その存在がないと

成立しない自分が

出来上がる

現在の自分

未来の自分

やってみたいこと

叶えたい理想

そのすべてに

誰かが一緒に

存在している

自分が見ている

未来の景色の中に

必ず入ってくる

主軸が

相手に置かれている

その状態

きっと

多くの人は

これに違和感は

感じないかもしれない

“大切な人と

一緒に生きるって

そういうことでしょ?”と

わたしも

そう思っていた

ただ

わたしは

自分の中の未来に

“誰か”が

存在したことがなかった

どれだけ

“頑張って”

想像してみても

“誰も”出てこない

それが

どうしてなのか

ずっと

分からなかった

だから

わたしは

自分本位で

冷たい人間

なのかもしれない

心の奥では

そう思って生きてきた

でも

ようやく

分かったかもしれない

わたしは元々

執着心や依存心が薄い

おそらく

そうなのだと思う

それは

きっと

自分の世界を

持っているから

自分が喜ぶこと

幸せを感じること

自分が一番

知っている

そしてそれは

他者や

他の何かでは

満たせないということも

自分の手で

自分の世界を創ることに

生きる喜びを感じる

見える形で

その手段を

見つけるまでは

苦しい時間だった

その欲求だけは

満たせていなかった

でも

ほかの何かで

埋めようとは

微塵も考えたことがない

埋められないことが

分かっていたから

強い飢餓感と

心の渇きを

抱えていたけれど

その部分が

自分にとって

汚してはいけない

神聖な部分のように

感じていたから

安易な方法や欲に

流れされる自分には

なれなかった

いまは

こうしてその形を

手に入れることができた

創ることは

わたしの

“生きがい”ではなく

“わたし自身”

だから

切り離すと

わたしは

生きられない

手に入れて

初めて

そのことを知った

過去のわたしは

まだ自分で

立てていなかった

でも

潜在意識では

ひとりで立つことを

自分が求めていた

まだ

未来のビジョンに

誰も存在して

いなかった

誰かと一緒に

生きることを

助け合うとか

寄り添い合うとか

補い合うといった

お互いの

不完全さを

満たすためにあると

考えていたとしたら

ひとりで

自立することは

“一緒にいる必要ある?”

という問いと共に

むしろ

邪魔なものに

感じられるかもしれない

でも

それだと

やはりどこかで

ゆがみが生じてくる

少なからず

どちらかが

無理をすることになる

なぜ

わたしの未来には

誰も存在して

こなかったのか

自分の世界を

守るためには

まず自分自身を

完成させる

必要があったから

そして

わたしが

世界を壊さなくても

いい相手に

まだ出会ったことが

なかったから

自分の世界を壊さずに

並べる相手が

まだ”いなかった”

自立していないと

選択は

いつも一択になる

“自分の足で立つこと”

自分の機嫌は自分で取る

ということ

誰にも頼らず

孤独に生きる

ということじゃない

自分の世界も関係性も

両方選ぶことができる

自分で立てるから

誰かと並ぶことができる

自分を壊さずに

それは

自分の自由も

相手の自由も

尊重された状態

お互いの世界を

認め合いながら

必要なら交わる

どちらの輪郭も

崩すことなく

綺麗な形のまま

並ぶことができる

ひとりで

生きるためではなく

誰かを拒むためでもなく

自立した者同士が並ぶ

それが

わたしの考える自立

その関係性が

わたしは

心から

美しいなと

そう感じている

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