「終曲―わたしの音のはじまり―」

ラフマニノフや

ブラームスのように

内省的で

内側の深さや

重さがある曲が

好きだった

簡単には

解けない感情

厚い響き

暗さの奥にある熱

そこに

惹かれていたのは

自分自身もずっと

その深い場所を

生きていたからだった

けれど

なぜか

胸がときめかない

なんだか

重たく感じてしまう

これまでの自分と

何かが違っていた

わたしは

何を弾きたいのだろう

すると

すぐに浮かんできたのは

水面のきらめき

揺れる光

移ろう色彩

溶ける輪郭

ふわっと

背中に羽が

生えたような

どこまでも

飛んでいける

軽やかさ

わたしの

音の季節が変わった

ずっと

深く潜っていたから

暗い

森林から出て

初めて

水面の光を

弾きたくなった

繊細さや

美しさは

弱さではない

揺らぎや光は

芯がないと

表現できない

繊細な

きらめきこそ

芯のある

土台が必要

光と影

両方あって

表現できる

同じ音楽なのに

わたしが変わると

音楽の受け取り方も変わる

学生のころ

夢中で読んだ

シェイクスピア

崇高さと醜さ

愛と憎しみ

正しさと欲望

相反するものを

ひとりの人間の中に

同時に描く

その二面性を

いまのわたしは

もう一度受け取りたい

きっと

あの頃とは違うものが

得られるはず

ひとつの物語なのに

幾つもの物語が

同時に流れている

だから

読むたびに

違う景色が見える

作品は

受け取る人の人生と

共に育つ

古典文学も

クラシック音楽も

絵画も

芸術は

何百年という

時間を超えて

なお

人の心を

動かし続ける

新しいから残るのでも

古いから残るのでもない

そこに

描かれているのが

人間の本質だから

その人間の姿に

人は触れに来る

その結果として

時代を

超えてしまう

芸術は

新しい答えを

与えるのではなく

自分の中に

ずっとあったものを

思い出させる

だから

どの時代の人も

自分を見つけてしまう

自分の人生を

自分自身を

見つめ直すために

人は

芸術に触れるのかもしれない

芸術に

何度も救われてきた

芸術がなかったら

今のわたしは

存在していない

喜びも苦しみも

共に感じ

共に生きてきた

壮大な

芸術を前に

圧倒されるけれど

享受する側ではなく

創り出す側として

わたしは生きる

誰かを

目指したりはしない

わたしにしか

創れない世界で

その系譜に

参加していく

いつか誰かが

自分を見つけてしまうような

人の本質に触れる

そんな作品をつくりたい

それが

わたしの光の道

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