存在価値は失われていない
わたしたちは
成長する中で
存在価値を
見失っていく
けれど
それは
価値そのものが
失われたわけではない
評価や役割
周囲から向けられる
さまざまな
価値基準によって
見えなくなっているだけ
本来の価値に
気づくというのは
何かを
手に入れることでも
新しい自分に
なることでもない
むしろその逆で
余計なものが
静かに落ちていくにつれて
それまで
覆われていたものが
少しずつ
あらわになっていく
外側に向いていた意識が
内側へと帰り
これまで
見えなかったものが
見え始める
焦りがゆるみ
力が抜けて
何者かにならなくていい
という感覚が
胸の奥で
淡く灯る
その静けさの中で
ようやく
存在価値は
姿をあらわす
それは
努力の先で
手に入れるものではない
生まれたときから
ずっと
自分の内側で
息をしていたもの
だから
戻るというより
思い出すと言った方が
近いのかもしれない
余分なものを削ぎ落とす
存在価値は
自分の在り方が
整っていくにつれて
少しずつ
見えるようになる
外側の評価や
役割の中に
自分の価値を
探し続けていると
もともと内側にあるものに
気づくことが難しい
だから
本来の価値に戻るために
必要なのは
何かを
付け足すことではない
自分の価値を
覆っているものを
ひとつずつ
削ぎ落としていくこと
そのために
これまで
自分を守るために作ってきた
防御の壁を
一枚ずつ
剥がしていく
できる自分で
いようとすること
期待に
応えようとすること
誰かに
必要とされようとすること
それらは
自分の価値を
失わないために
身につけてきたものでもある
けれど
本来の価値は
それらによって
守らなければならないものではない
削ぎ落とすとは
それらを
捨てることではない
自分はなぜ
できる自分で
いようとするのか
なぜ
期待に
応えようとするのか
なぜ
誰かに必要とされることで
安心しようとするのか
その奥にあるものを
ひとつずつ
見つめていく
そして
それがなくても
自分の価値は変わらないことに
気づいていく
そうして
自分を守るために
必要だったものが
少しずつ
必要ではなくなっていく
無理に
剥がすのではなく
もう守らなくてもいいと
気づいたものから
静かに
手放されていく
そのたびに
覆われていた
自分の内側が
少しずつ
見えるようになる
本来の価値に戻る
余分なものが
少しずつ落ちていくと
その奥に
ずっと
変わらずにあったものが
見えてくる
何かができるから
価値があるのではない
誰かに必要とされるから
価値があるのでもない
何も証明しなくても
自分の価値は
そこにある
そのことに
気づいたとき
外側に預けていた
自分の価値の根拠を
少しずつ
自分の内側へと
戻していく
すると
何かをすることも
誰かと関わることも
自分の価値を
証明するためではなくなる
できる自分も
できない自分も
同じ自分として
受け取れるようになる
外側で
何が変わっても
自分の価値まで
一緒に揺らぐことはない
たとえ揺れても
そこへ戻れる
本来の価値に戻るとは
新しい価値を
手に入れることではない
ずっと
自分の内側にあったものを
もう一度
自分のものとして
受け取ること
だから
戻るというより
思い出す
わたしは最初から
この価値を
持っていたのだと

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