第十章 鳴る言語、響く世界――英語と日本語のあいだ

目次

言葉の奥へ

理由も分からないまま
英語に惹かれていた

英語を
話せるようになりたい

それだけでは
うまく言い表せないものがあった

英語という言葉が
人の中に入ったとき

何を動かすのか

どんな感覚を
生むのか

わたしは
その奥にあるものを
知りたかった

ピアノや音楽は
自然と身体に入ってくる

けれど

英語は
そう簡単には

入ってこない

それでも

分からないからこそ
耳を澄ませたくなるような

気になる響きが
そこにあった

英語を学ぼうと
決めたとき

わたしが

見ようとしていたのは

言葉の意味

だけではなく

その言葉に

触れたとき

自分の内側に
どんな変化が起こるのか

ということだった

音としての言語

英語を聞いたとき

最初に感じたのは
意味ではなく
音だった

その響きに触れると

胸のあたりが
わずかに震え

外へ向かって
ひらいていくように感じた

わたしにとって
英語の音は

どこか
金管楽器に似ている

まっすぐに
空間を

押し出すような響き

身体の内側から
外へ抜けていくような力

一方で

日本語は
木管楽器のように感じる

息の中にあり

やわらかく
内側に広がる

響きが
身体の中にとどまり

静かに
染みていくような

感覚がある

英語と日本語に

触れるとき

わたしは
音の違いとともに

自分の内側に起こる
動きの違いを

感じていた

外へ向かう響きと

内側に広がる響き

言葉の意味を
受け取るだけではなく

その音に

触れることで

自分の感じ方も
動いているのだと思った

言語と拍

音楽の休符は

音がなくなり
流れが止まる場所ではない

音を出さないあいだも

前の音の

余韻が残り

次の音へ向かう
時間が続いている

わたしは
英語の発音に

触れたとき

その感覚を

思い出した

書かれている音を
一つずつ
すべて鳴らそうとすると

かえって
言葉がつながらない

弱くなる音や

前後の音とつながって
聞こえなくなる音がある

けれど

その音が
はっきり聞こえなくても

言葉全体の流れは
続いている

一つの音だけを
取り出して聞くより

ひとまとまりで聞いた方が
捉えられるものがあった

一方で

日本語を話すとき
わたしは

一つひとつの音を
確かめるように
言葉を置いている

英語を

発音しようとすると

その慣れが
顔を出す

すべての音を
同じように

鳴らそうとして

大きな流れに
乗れなくなるのだ

これは

音楽を捉えるときにも
重なる

一つひとつの音を
丁寧に見ていくことと

休符も含めて
ひとつの旋律として
聞くこと

部分に

意識を向けると
見えるものがある

全体の流れに

耳を澄ますと
分かるものもある

言葉を話すとき

わたしたちは
何に意識を

向けているのだろう

その習慣は

音の捉え方だけでなく

物事の見方や
文化の中にも

つながっているのかもしれない

sympathyがひらいたもの

そのとき
わたしは

自分の中にある感覚を
うまく言葉にできずにいた

近い言葉はあるのに
どれも少しずつ違う

いくつもの

言葉を重ねても

言い表せないものが

残っていた

そのとき
先生が言った

「シンパシーだね」

その音を

聞いた瞬間

わたしの中で
何かがほどけた

探していたものを
外から差し出されたようだった

言葉の意味を
理解したというより

自分の中にあるものに
触れられた感覚だった

この経験を

きっかけに

わたしは
英語と日本語では

意味の伝え方にも
違いがあるのではないかと考えた

たとえば

同じ出来事を

見ていた相手なら

「あのとき」と言うだけで
伝わることがある

けれど
その場に

いなかった相手には

何があったのか
自分がどう感じたのかを

言葉にして
説明する必要がある

共有している前提が
あるかどうかで

言葉にする必要のあるものは
変わってくる

わたしは
英語と日本語の特徴を

その違いに重ねて

考えた

英語は

同じ前提を

持たない相手にも
伝わるように

言葉そのものに
意味を乗せていく

自分が感じていることや
考えていることを

言葉として
外の世界へ差し出す

内側にあったものが
輪郭を持ち

相手に向かって
ひらかれていく

一方で
日本語は

その場の空気や
相手との関係

共有している前提も含めて
意味を受け取る

すべてを

言葉にしなくても

言い終えたあとの沈黙や

あえて言わずに

残した部分に

気持ちが

伝わることがある

言葉に

表されたものだけでなく

そのあいだにある余白にも
意味が宿っている

意味を言葉に乗せて
外へひらくことと

余白の中で
意味を通わせること

わたしは
その二つのあり方に
関心を持った

そして

「シンパシー」という言葉は

それまで
うまく言い表せなかった感覚を

ひとつの言葉で
捉えさせてくれた

言葉は
意味を伝えるだけではなく

人の内側に触れて
何かを動かすこともある

そのことを
わたしは実感した

あいだに立つ

英語と日本語に
触れることで

わたしは

言葉として
はっきり表したいものと

言葉にしきらず
残しておきたいものの

両方に気づいた

自分が

感じていることを

相手にも届く形にして
差し出したい

けれど

すべてを説明することで

こぼれてしまう感覚も
あるように思う

言葉にすることで
見えてくるもの

言葉にしないことで
感じられるもの

わたしは
そのどちらも
大切にしたい

英語に

惹かれてきたことも

日本語で
言葉を紡いでいることも

わたしの中で
つながっている

輪郭を持った言葉で
外へひらきながら

そのあいだに
感じ取れる

余白を残す

言葉だけで
言い表せないものには

音や絵を重ねてみる

そうして

自分の内側にあるものを

誰かが触れられる形に
していきたい

響きと余白の
あいだで

わたしは
表現しようとしている

Visual Direction & Words

Atelier soe

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